2013年10月23日水曜日

伊豆海洋にゅ~す 15の4

島といえば大分の姫島で
横溝正史ばりの謎の死体が上がってましたね
姫島は島の大きさにしては
大きな歓楽街があるのが有名なようで


男性遺体:周南市の男性、大分・姫島で発見 /山口

2月に同僚と釣りに行ったまま行方が分からなくなっていた周南市新清光台4、会社員、大島一浩さん(当時45歳)について、大分県警国東署は18日、同県姫島村の砂浜で見つかった下半身だけの遺体が大島さんと確認したと発表した。
 同署によると、遺体は13日午前10時45分ごろ、同村東浦漁港付近の砂浜に打ち上げられているのを散歩中の人が見つけた。



大島・・・



黒曜石と姫の島
http://kokuyouseki.blogspot.com/2013/02/365.html


伊豆大島には縄文遺跡があって
瀧ノ口遺跡から神津島産の黒曜石が発見されている
タキノグチという場所が島の西側
ツバイのカッパ伝説がある野増地区にあった

このエリアのカタカナ地名は明らかに
縄文時代の原住民によるもので
ツバイの伝説は恐らく
この島にいた原住民にちなむ古い伝承だと想われる

原住民はカッパのような異形や妖怪に
例えて伝えられることがある
「カッパのいる池の水を村人が飲めない」のは
この池のある場所に原住民が眠っていたり
なにかしらの因果があるのかもしれない

イヤらしい見方をすると
原住民(カッパ)に女(姉)を差し出して
寝こみを襲ったり
籠絡させたのが
カッパ伝説の元だったりして

遊女の始まりは
娘を征服の道具として
差し出したことからかもしれない


この言い伝えに禰宜がからんでいることから
縄文の遺跡が残るこの地で
なんらかの封印がされたのは間違いないような
それがカッパ伝説として伝えられているのかも





姫島に流れ着いた大島の人と
伊豆大島で亡くなった人たち


黒曜石が繋いだ
黒曜石が教えてくれる
因縁の物語かもしれない


今年の1月に大島監督が亡くなったのは
前兆だったのかもしれないなぁ・・・



タキノグチは大島の西海岸
海際にあって

大島の渚とは

伊豆大島の縄文遺跡のことかもしれない




伊豆の海の道
神津島と海の道



土砂崩れが起きたのは
島の西側、北西にある
現在の大島の中心地である元町に面した斜面

すぐ隣の南西には
縄文エリアの野増地区がある
この野増地区だけカタカナの地名がたくさん残ってて
他の地区ではあまりみられない


こんなのみっけ

伊豆大島の史跡・流人・文学諸々豆知識

下高洞遺跡
元町地引浜奥、海食崖にある遺跡。海食崖の下部から縄文時代早期前半の土器、神津島産黒曜石の石鏃(せきぞく・矢じり)、イノシシの頭骨などが多数出土し、竪穴住居も確認されている。現在、伊豆諸島では最も古い8000年前の遺跡とされている。

役行者(えんのぎょうじゃ)
役小角(えんのおづぬ)といい、奈良時代の呪術者。修験道(山伏)の開祖と言われている。その能力をねたまれ大島へ流罪となる。昼は行者窟に住んで修行し、夜になると富士山に飛んで赦免を願ったという。洞窟内には役小角の石像が安置されており、毎年6月15日に行者祭が行われる。


げっ
役小角の祭りを今でもやってんのか
これは・・・呪術が今でも効いているということね?


伊豆大島には縄文時代からの遺跡が
51ヶ所もあるのに
ジオパークとかやってるわりには
大島町のHPに紹介されていない

島の人がその価値に気づいていないせいか
遺跡が観光するほどのものでもないのかもしれないけど
崩壊の恐れがあって立ち入り禁止の看板がしか見つからなかった
あまりやる気を感じられない・・・

海洋民族としての縄文人は
東北や信州の縄文文化とはまた違った
別の魅力や発見があるだろうに
神津島を中心とする黒曜石文化圏は
考古学的価値が高いと想うし
縄文人の海洋圏は他に聞いたことがない
貴重なものだと想う
自治体の努力によって観光価値をいくらでも高められるだろうに
ジオパークのサイトでもスルー
データサイトにわずかに記述があるだけ
瀧ノ口遺跡の写真はとうとう出てこなかった


縄文の封印が強いのかもしれない
なにせ呪術師の祭りをいまだにやってるぐらいだからね
祭り自体は護摩炊きをするシンプルなものだけど
案外こういう祭りが
人々から縄文意識を遠ざけているのかもね
それが結果的に封印や呪いになっている

行者祭




0 コメント:

コメントを投稿