2012年11月9日金曜日

天城の声が伝えるもの

現在でも   箱根は


日本の東西を結ぶ   大動脈


東海新幹線や   東名高速を


その北と南に従えて


まるで腫物に触るかのように   陸の交通は


箱根山を迂回して   通っている


飛行機や船という手段があっても


この地域が


北方へ迂回するルートはあっても


東西の陸の流通の   要であることは


日本の地形が変わらない限り


有史以前から   変わっていない



古代の侵略者にとっても


ここは恐らく   伊豆箱根の険しい山並みは


壁のように立ちはだかっていた






天城越え


という名曲も   名作も   有名で


『天城越え』のテレビドラマを   昔偶然見たのを覚えている


そして   311の2か月前に   再放送されて


なぜかそれもまた   偶々観ることになって


普段   ドラマをほとんど観ない私が


松本清張にも   伊豆にも   特に興味のない私が


同じドラマを二度も見るハメになったとき


さすがに観たというより観させられた感じがして   


解せない気持ちが強く残った



遊女や流れ者の土方が   ストーリーのキーになっていて


当時の私にとって面白いものではなかった


それがなんとなく   フィリピン海プレート上にある   伊豆箱根が気になり出してから


この話を   想い出した





少年犯罪をテーマにしているけど  


ドラマの中で   呆け者の土方は   少年に殺され


遊女は   罪を着せられる


それは全て少年が招いたことなのに


少年は中年になって   初めて自分の罪を知る


私はなんとなく   少年時代の罪としながらも


遊女や流れ者という   キーワードが引っかかって


何か別のものが描かれているような


予感がした





今   原作の方を調べてみたら


私の違和感が   はっきりと表現されていて   


私は『天城越え』の正体を   改めて知った




天城越え/松本清張の読書感想文

・・・(2)に関しては、「私」は記録を読んではじめて、大塚ハナが「修善寺の売春婦」であることを知っていたくらいです。事件後、刑事が一度、家に事情を聴きに来ただけで、「少年」は事件のことにまったく関係していないようでした。

・・・原作は30数年たった現在の「私」の「いまの衝撃」を、覚めた視線で浮き彫りにしていたことが印象に残りました。また、浮き彫りにされていたのが、「良心の呵責」や「罪の意識」ではなかったことも心に残りました。おそらく、現在の「私」は、「刑事捜査参考資料」を読むまでは、土木作業員殺しのことはすっかり忘れていたのだと思います。女の素性を30数年後に初めて知っていたくらいですから、「良心の呵責」や「罪の意識」はある時点で消えて、裁判の行方にも関心はなかったのだろうと思います。

なので、原作「天城越え」で描かれていたのは、「いまの衝撃」だと思いました。また、よく考えてみると、「いまの衝撃」とは、あいまいな言葉だと思いました。40代後半から50歳ほどの「私」は、何に衝撃を受けたのか。自分が人を殺したということなのか、現在の田島老刑事がそれを知っているということなのか、人を殺した人間が何の罪にも問われずに今このように生きていることに対してなのか。・・・ 原作「天城越え」は、読み終えて、「私」という人間に対する疑問ばかりが浮かびました。




少年時代の淡い恋による   


若気の至りが   一生消えることはない


どこかロマンチックな   ドラマの作りとは全く違い


原作には   そこにはっきりと


征服者の魂の影を   見ることができる




罪を犯した者が   その罪をずっと背負って生きている


そんなことは全くない


この少年のように   人間は   獣のように


人を殺すことができる


そしてきれいに   忘れてしまうことができる


それは例え子供でも   いや子供だからこそ?


遊女や流れ者の土方といった   弱きものの人生を狂わした男が


終生全く   その罪を償うことなく


人生を謳歌していた


そして   その罪が明らかになったとき


訪れたのは   良心の呵責でもなんでもなく


ただ   自分が罪を犯していたという衝撃だった


これが   征服者たちの実体


その魂たちの   本心のように聞こえる



そしてこの衝撃は恐らく   これから現実に生きる彼らに


やって来るだろう






原作には   少年の動機の一つに


大男の土方に


「 他国の恐ろしさを象徴して感じていたのであった 」


と  中年となった少年に語らせている


きっと征服者たちは   この地に住む原住民を


もしかしたら   別の渡来人たちに対して


こんな恐れを感じたのかもしれない





少年と   彼を守り遊女を虐げた警察と


遊女や流れ者の土方という   報われない者たち


作者はさらりと   現代における


征服者と被征服者の存在を   その魂の行方を


炙り出している




たとえ子供であろうと   どんな理由があろうと


征服者の魂は   生まれ変わって宿っている


そして彼らが罪を自覚することは   きっとない





このストーリーは   この作品に宿ったものは


厳しい山間が続く   伊豆半島の地で


古代の因縁が   かつて繰り広げられた戦い


封印され忘却の彼方に消えた罪が


書かせたのかもしれない


そんなことを   ふと想うのだ



この地で多分   同じようなことがあった


遊女たちは   虐げられ


男たちは   殺された


そんな気がするのは


このドラマを観た違和感が   311直前に   


まるで私の記憶に   押し留めようとするかのように


訴えてくる何かが   伝えたがっているように


想えるから





陸に高い山々を頂き


海にせり出した半島は   きっと


西から東への覇権にかけて


かなりの激戦地になった気がする



言い伝え   神話   伝承


何も知らないし   存在しているのかもわからないけれど


地図を見れば   伊豆半島が


富士山箱根の頂きを冠に    伊豆諸島が点在する


太平洋沖のターミナルとして


海の戦いにおいても   陸の戦いにおいても


海の民にとっても   山の民にとっても


東西を繋ぐ要所として


互いの交易を通して   栄えていただろうとというのが


よくわかる




温暖で   温泉も湧き


海の幸に恵まれ


魚や   イルカまで食べれるほど   


高低差のある山々は   動物たちが多く棲み


きっと狩りにも事欠かない



海の民も   山の民も


何もしなくても   温泉に入りながら


穏やかに暮らすことが出来た


そんな地だったかもしれない






少しずつ   土地に沁みこんだ古代の記憶が   魂が


現代の創作物を通して   様々な出来事を通して


表現されているのが   わかり出してきた




忘れさせられていた記憶が   夢が


現実に表れ始めて   少しずつ


想い出しはじめる


彼らの声が   聞こえ始める




作品は   様々な記憶を辿って   忘れられた記憶を写し出している


作品は決して   個人の力だけでは作れない


そこには見えない魂からの   メッセージが



役柄と   演者との縁が   見え始める


イメージと現実が重なり合う時   


同じ魂が宿っているのが   透けて見える


彼らの正体が暴かれていく


映画版を観たことはない。今まで3度映像化されているが、誰が作っても名作になる不思議な作品。
原作と違い少年が決して悪者にならないように同情的に作られている。



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